幹部だけで安全祈願

 2015/1/7

 人のために祈る

  2015.1.5仕事始めの日の新年安全祈願祭は、1/5午前中に幹部達だけで飛幡八幡宮で執り行われた。一般社員は参拝できませんでした。

 幹部の皆々様、「みんなの安全と健康を祈願して頂きありがとうございます」。

 社員選抜代表だけ祈っていただいたいたが、やはり自分自身で祈願したいものです。神社へ祈願は、信仰なくとも、仲間の無事を願い自分自身のために決心する場であり、「安全啓蒙活動」として効用はあります。

  光和精鉱株がみんなで安全祈願を始めたのは昭和53年人員合理化の翌年からだったと思う。夕方の16:00から祈願するので早々に仕事切り上げ風呂に入り戸畑八幡宮(当時)に参集し、祈願後、神社の会館で直会(なおらい)で業者を含む皆んなで年始の挨拶をお神酒を飲んで交わした。飲酒運転禁止が厳しくなり、直会はなくなったが昨年までは神社詣では常昼勤務早退して16:00からおこなっていた。

 

    キリスト教では、祈りの本質として「人々に見てもらう」ことと「人に見せよう」とするのは大きな違いがあると云っています。偽善者の祈りは神様へ答えを求めているのでなく、他人からの賞賛を求めていると説教します。自分の心の安寧(あいねん)のために他人の安寧を祈る、「自分のために他人の安寧を祈る」のは自己満足であり、自己犠牲で人のために尽くすことを「愛」と言うでしょう。

  多神教の私は、初詣で神様がご利益を与えてくれるとあまり信じてはいませんが、罰(バチ)が当たらないように賽銭を投げます。これも信仰の一つであり、因習でもあります。

 

 みんなが(世界がぜんたい)幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない。(宮沢賢治)