高見神社大祓い

高見神社
高見神社

2016/6/4

大祓い祭御守

 

 光和精鉱株式会社は、八幡製鉄所八新会を通じて、大祓身代わり人型と神社のお守りお札が100枚割当されている。社員全員分ないので、直接環境安全部長へ申込者に「先着順」でお札を配布すると云っているが、申込有無とは関係なしに配布しているようです。

 八幡製鉄所は、関連協力会社に夏と冬に高見神社の大祓いの寄付を募るようになったのは、いつ頃だろう。古く昔しは、製鉄社員は多くて、下請け関連会社の一般社員に寄付を募ることをしていなかった。

  光和精鉱株式会社は、安全祈願や竣工祭事は戸畑飛幡神社(浅生八幡)の宮司に頼んでいます。どこの神社もご利益は同じ。

 高見神社縁起

 高見神社は、もともとは洞海湾の高見という地域に神社があって、この地が鉄所工場用地となったので1898年明治31年、八幡村尾倉(現西本町)豊山神社宮前へ遷された。製鉄所は職員の官舎、社宅を大蔵、荒生田、槻田地域につくり、高見所官舎周辺は京の都の条里制を真似て碁盤の目のように設計しました。

 戦前の製鉄所長は、通産省の大臣クラスの官僚です。社史で歴代所長写真は、胸に勲章を付けた写真がその威厳を感じさせます。一般職工は、長屋社宅に住みます。職工とは別に職夫がいて、職夫も常雇と臨時雇に区分されています。今の派遣会社のような人夫供給会社が多数いて、その社長なかには八幡市議を務めている人もいます。八幡市は製鉄所の関係者が議員になり市長には製鉄所の社員を輩出する企業城下町です。高見地域は、富裕層地域です。掛長は、いまの工場の部長職の決済権限があります。

 髙見神社は、社員の勤労奉仕などをして10年のかけ昭和8年1933年に建立します。昭和2年1927年河内貯水池の竣工し、工場は拡張され社員が爆発的に増えていきます。1933年はドイツでヒトラーが政権をとり、日本は国連を脱退した年です。翌年1934年には製鉄所は日本製鉄株式会社として民営化されます。

 高見所長官舎の周りには、高級官僚の官舎がひな壇のように配置されています。所長官舎にすぐ下に隣接して、接待用の高見クラブがあります。神社の反対側には、「製鉄寺」があり隣接して墓場があります。この墓地には製鉄所長の墓が祭られています。官舎近くには、遊郭はありません。高級遊郭街は、枝光本事務所近くの白川町に創られます。業者の接待で飲食して遊んでいたと想像できます。白川町周辺には1960頃には映画館が3つ、

 高見神社は、製鉄所とその社員達が氏子達により成り立っています。製鉄所の社員数のピークは1963年43000人との統計があります。現在は、製鉄所社員は住金小倉と合わせて4300人ぐらいまで減っています。現在高見所長宅は取壊されてありません。社員社宅の数棟になっています。高見神社の氏子の製鉄所社員減って製鉄社員専属の神社では運営が成り立たない。「製鉄所の守護神」から最近は「ものづくりの神様」とキャッチコピー変えています。