中国人強制労働に謝罪

版画集1951作「花岡ものがたり」13かしま 組  郷土博物館常設展示
版画集1951作「花岡ものがたり」13かしま 組  郷土博物館常設展示

 2016/6/8 23:06

 

三菱マテリアル中国人強制労働和解

 

 三菱マテリアルは、戦前中国人を強制連行して、鉱山、炭坑、土木工事に強制労働をさせていた。その損害賠償訴訟で和解が成立した。謝罪文には「過ちて改めざる、是を過ちという」孔子の論語が引用されている。三菱マテリアルの英断に敬意を表します。

 中国人の強制連行訴訟では、花岡鉱山で花岡川改修工事を請負つた鹿島建設が2000年11月に和解し、西松建設の広島発電所建設は2009年11月に和解している。今回の三菱鉱山の和解は、鹿島、西松建設の和解内容を発展したものとなっています。

 

 花岡事件は、1945年6月30日、鹿島組の過酷な虐待に抵抗して800人が集団蜂起して脱走して捕まえられて100人が虐殺された事件です。鹿島組の強制労働虐待はひどいもので、敗戦後の45年9月にまで鹿島組花岡出張所に強制連行された986名のうち419名が死亡した。花岡事件は、戦前の中国人強制連行の象徴として戦後、取り上げられている。花岡事件は、同和鉱業(当時藤田組)の花岡鉱山で発生した事件ですが、同和鉱業は、事件に直接関与していないのに関わっていたとする誤解が多い。たしかに、各地の鉱山、炭坑では日本軍が朝鮮、中国から人さらいのように強制連行して日本で強制労働を強いたのは史実であり、国策として朝鮮人、中国人を強制労働させています。

 1972年日中国交回復のとき中国は戦後補償を放棄している。しかし個人の損害請求権として企業へ損害賠償請求訴訟をしたのです。

 花岡事件和解では、鹿島は「謝罪」せず、和解金5億円を中国紅十字会に5億円を支払うも、そのお金が行先が不可解であり、和解をめぐる後味の悪い結末でした。花岡事件を後世に伝えるための大舘市花岡町に平和記念会館が建設されています。 

 

 八幡製鉄所では朝鮮人強制労働者は2805人(1945.8 日本製鉄社史)いました。韓国の裁判所で損害賠償請求訴訟で新日鐵住金に1000万円/人の判決がでたが、「日韓請求権協定により支払免責されるとして未決着です。三菱軍艦島、三炭坑、八幡製鉄所のユネスコ世界文化遺産登録審査のとき、韓国から朝鮮人の強制労働をした場所でありふさわしくないと反対の声があがった。

 日本国と日本人は、中国人や朝鮮人の民間人に対して酷いことしたのは事実ですが、素直に謝罪すると損害補償支払う羽目になる。国策とはいえ、中国人、朝鮮人を強制労働させた史実は消せない。反省すべきは反省しないと、同じ過ちを起こす。「過ちて改めざる、是を過ちという

 

中国人強制連行:和解 三菱マテリアルが謝罪

毎日新聞2016年6月1日 13時53分【北京・河津啓介】

 日中戦争時に強制連行され過酷な労働を強いられたとして、中国人被害者や遺族が三菱マテリアル(旧三菱鉱業、本社・東京都)に対して損害賠償と謝罪を中国で求めていた問題で、同社が1日、生存する被害者に直接謝罪し、双方が和解文書に調印したことが分かった。同日午後にも北京市内で生存する被害者本人が記者会見する。中国人強制連行を巡って企業側と被害者が和解文書を取り交わしたのは初めて。民間レベルでの歴史問題の解決方法を示した形だ。

 関係者によると、この問題を巡っては、三菱側が複数の被害者団体に和解案を示して昨年夏に複数の団体が受け入れ意向を示したが、一部の団体が「誠意がない」として反発。三菱側はすべての被害者団体との和解を目指しているが、被害者の高齢化が進んでいることなどから、生存する被害者に直接謝罪することを優先したとみられる。今回の和解でも、昨年夏に受け入れ意向を示した団体全てが合意した。

 毎日新聞社が入手した1日の和解文書によると、同社は被害者との間で1人当たり10万元(約170万円)を支払うほか、記念碑の建立に協力する。さらに「『過ちて改めざる、是(これ)を過ちという』。弊社はこのように中国人労働者の皆様が人権侵害された歴史的事実を率直かつ誠実に認め、痛切なる反省の意を表する」と表明。被害者側も「謝罪を誠意あるもの」として受け入れることで合意した。

 三菱側は和解案の対象となる被害者を3765人としており、全面和解が実現すれば、強制連行を巡る和解金の総額では過去最高になる見通し。今回、三菱側が生存被害者への直接謝罪と金銭の支払いに合意に達したことで、日中関係の動向次第では他の企業に対しても、新たに損害賠償を求める動きが出てくる可能性がある。

 中国人の戦時中の強制連行を巡る訴訟は日本で多く起こされたが、原告側の敗訴が相次いで確定した。日本の最高裁は2007年4月、「1972年の日中共同声明で個人の請求権も放棄された」との判断を示した。一方、最高裁は関係者に被害者救済も促していた。

 これを不服とする一部の被害者団体は14年2月、北京市第1中級人民法院(地裁)に損害賠償などを求めて同社などを提訴。一方で、提訴団体を含む被害者側と三菱マテリアルは、同年1月から裁判とは関係なく和解交渉を進めていた。さらに同社が15年7月、米ロサンゼルスで元米捕虜や遺族らに強制労働を巡り謝罪したことで、中国側でも一部の被害者団体が受け入れを表明するなど歴史的な和解に向けて動き出していた。

日本は第二次大戦中の労働力不足を補う狙いで、1942年に中国人労働者の「移入」を決定。契約労働を建前にしながら、多数が意思に反して連行された。外務省報告書によると、約3万9000人の中国人が炭鉱や建設現場など全国135カ所で労働に従事し、うち6830人が死亡したという。戦後補償を巡っては、72年の「日中共同声明」で中国政府が請求放棄を宣言し、最高裁が2007年に「請求権は消滅した」と初判断。同時に被害者救済を促し、一部の日本企業と被害者の和解も成立している。

 三菱マテリアルと中国人の合意(骨子

・三菱マテリアルの前身の三菱鉱業らは、強制連行された3765人の中国人労働者を受け入れ、劣悪な条件下で労働を強いた。

・三菱側は歴史的責任を認め、深甚なる謝罪の意を表す。被害者らは謝罪を受け入れる

・三菱側は本件の解決のため設立される基金に金員を拠出し、記念碑の建立に協力する。

・三菱側は謝罪の証しとして、直ちに1人当たり10万元(約170万円)を支払う。