ラジオ体操参加しないのは我がまま?

社内報『光和』昭和50年1975.6.16号表紙 当時は守衛室にタイムカードが置かれていました。
社内報『光和』昭和50年1975.6.16号表紙 当時は守衛室にタイムカードが置かれていました。

2017/8/16 11:09

他人の自由を侵すことを「我がまま」という

    

 和精鉱㈱で、みんなでラジオ体操をするようになったのは、社内報によれば1969年(昭和44)頃からです。

  1974年(昭和49)会社決算は、10年ぶりに赤字に転落します。響灘への硫酸工場建設は中止になります。翌1975年5月に「不況対策委員会で」が設置され、8月に第2硫酸工場を休止し、ペレット原料焼鉱不足でペレットも減産します。請負の直営化、55歳定年後の嘱託雇止めをします。非鉄建値は低迷し続け、累積赤字は資本金10億近くまでになります。 1978年(昭和53)3月には社員の30%、 83人の希望退職がおこなわれます。

 皮肉にも人員削減終わって、銀建値が高騰し赤字は一気に解消します。人員削減提案で、みんなラジオ体操する気にならない。ほんの僅かの人しか体操はしません。

  製鉄は鉄冷えで高炉休止し、余剰人員を関連会社に押し付けていきます。光和精鉱は昭和53年人員削減し、危機を脱したら製鉄から出向者を受け入れます。その中に出向者S副部長は、自主管理活動、ラジオ体操参加勧誘、社内レクと製鉄流の思想で参加動員をするようになります。

 「なんで体操せんのか。健康のためやろ」「会社は音楽鳴らして便宜図っやっている。みんな体操しているのに、あなたはどうして体操しないのですか」と職制は労務管理者として詰問するのです。率先して体操している人は、全員がラジオ体操するように統制したがるのです。

 疲れるので体操したくない人、体調を整え健康のため体操するのも自由です。むきになり体操参加を強要するのは、全員が上意服従することを確認し、部下から尊敬されたいと自己の権威を示し、尊敬されたいマズローの承認の欲求です。無償の奉仕で組織への忠誠心を醸造せんがために、始業前ラジオ体操を手段として利用するのです 

   

 畑製造所長に就任したA氏は、2003年6月から2005年6月の2年間に延413通のメルマガを配下のお気に入りの人へ、毎日、自分の思いを「雑感」として配信していました。「雑感」は、自分の思いを部下達に伝えるエッセーです。ときどき、春闘や職務給などの組合対応に意見する「不当労働行為」と取れる文書もありました。私には、複数の人が転送してくれていました。

 下記の文書は、著作権プライバシー問題は多数の人へ配信しており、著作権はあるが、名誉棄損には該当しないので公開しても構わないと判断するので転記します。

 

  A氏は「規律や命令も必要である。『自由』と『わがままや怠慢』を履き違えてはいけない」と述べています。そして「規律や命令も必要である」とし職制にみんなに体操させるように指示をするのです。参加強制すると時間外賃金支払義務となるので強制できない。従順しないことが歯がゆいので、道徳的説教をするのです。

 数年前、保全部門で、年次定修期間中、始業前に全員体操し朝の集会参加を示達して命令していたことがあります。

 

 ユダヤ人のイザヤ・ベンダサンこと山本七平さんは『空気の研究』(1977年)で「合理的に是非を判断しないまま、集団心理を育む土壌はその場の『空気』』だ日本人の文化を解析しました。その後2006年頃に女子高生のKYが流行語となりました。

 自由は、他人の自由を侵してはいけないのであり、他人の自由を侵すことを「我がまま」という。みんなで体操する「職場の空気」をつくるには、紀律や命令によって人為的つくることが労務管理のセオリー(理論)です。

  

 関連ブログ

2017年08月06日 - スズキ 始業前ラジオ体操に賃金支払い

 

-----------------------------------------------------------------------------------------

<雑感>   No.414      2006.11.22

 <皆さん ご安全に!> 

 私が所長時代、所の皆さん方に毎日送っていたこのメール・・1年半ぶりに送ります。

 

「挨拶、朝の体操について」

  実は5年前にも同じタイトルで書いていますが、最近新入社員の方が増えたこともあり、また気になりますので改めて書き綴りました。「お早うございます!」「おはよう!」「オス!」・・・人によって言葉は変わっても、朝の挨拶は気持ちを清々しくする。不思議なもので、朝一番に出会った時挨拶を交わしそびれると、その後に顔を合わせても、今更挨拶し辛く、気まずい思いになる。また、人によって気楽に挨拶する人と、なんとなく黙ってすれ違う人がいる。中には消え入りそうな小声でする人もいる。一度挨拶を交わさないと、その後もずっとそのままになってしまう。挨拶は最低限の礼儀であるし、人と人との潤滑剤の役目もする。みんな、誰でも大きな声で朝の挨拶を交わしたいものである。

 

朝の体操はなんのため?

 所長時代は「みんな体操をしよう!」、あるいは各部門の長の方には「みんなにそうしむけるように」と言い続けて来た。 

 私は、朝の体操は仕事を始めるための身体と心の準備と思っている。だから絶対必要だと思っている。

「始業時間の前だから会社から強制されたくない」ということを言った人がいる。また「仕事にかかっており忙しいから出来ない」と言う人もいる。どちらの人にも私は聞きたい!「では勤務時間中は本当に一生懸命、わき目も振らず仕事をしているの?」「朝の5分間の時間を惜しむほど仕事が立て込んでいるの?」こたえは「否」と思う。そう言う人に限って勤務時間中は効率の悪い仕事の仕方をしているのではなかろうか。仕事は時間を掛ければ良いという訳ではない。休む時は休み、おしゃべりしても良い。またゆっくりお茶を飲んでも良い。

 大事なのは「何事にもけじめをつけ、仕事をする時には集中して効率よくこなして貰いたい・・現場やルーチンワークをする人以外はフレックスタイムで良いと思っている」

 

 2つの事はいかにも「軍隊式だ!」とか「古い考えだ!」と云う批判もあるでしょう。でも会社という所は仲良しクラブではない。ある目的を持って作られた集団である。そのためには、規律や命令も必要である。 「自由」と「わがままや怠慢」を履き違えてはいけない。

 だから私はこれからもこの2つの事については言い続けるつもりである。みんな大きな声で挨拶をし、始業前の体操をして、気分も新たに仕事に向かいましょう!

 ---------------------------------------------------------------------------------------------------- 

  <雑感>No.003     2003.7.22

<皆さん ご安全に!>

「挨拶、朝の体操について」

「おはよう!」「オス!」・・・人によって言葉は変わっても、朝の挨拶は気持ちを清々しくする。

 不思議なもので、朝一番に出会った時挨拶を交わしそびれると、その後に顔を合わせても、今更挨拶し辛く、気まずい思いになる。また、人によって気楽に挨拶する人と、なんとなく黙ってすれ違う人がいる。一度そういうことになると、その後もずっとそのままである。

 やはり挨拶は最低限の礼儀であるし、人と人との潤滑剤の役目もする。みんな、誰でも大きな声で朝の挨拶を交わしたいものである。

 

ラジオ体操はなんのため?

 最近みんなが朝の体操をするようになった。 見ていて気持ちが良い。まさか「私がするように言ったから嫌々している」のではないと願っている。

 「始業時間の前だから強制されない⇒参加しない」ということを言った人がいる。するのが嫌と云うより、言われてするのが嫌だと片意地をはっているようでチョット悲しくなる。何をするにも、準備は必要。

 朝の体操は、仕事を始めるための、身体と心の準備と思っている。挨拶をし、体操をすることでメリハリを付け、今日も1日ご安全に!